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富岡高校敷地内にある七日市藩の陣屋「御殿」。 すぐ裏は体育館である。 [富岡高校HPより] |
「御殿」を持つ高校
群馬県と言えば、今をときめく日本ハムの斎藤佑樹投手を生んだ偉大な県である。高校野球の名門早稲田実業から推薦で早稲田大学に進んだ俊英でもあり、王子さまであることから、東京育ちの結構いいとこのボンボンという訝れ方もしそうだが、彼は中学まで、上州おろし吹きすさぶカカァ天下の群馬県人なのだ。彼の力量には、関東一円の高校が注目していたらしく、そこから早稲田実業には推薦で入学、高校時代は東京で兄とふたり暮らしをしていたことは、周知の通りである。
そんな偉大な県だからして、びっくりするような城郭高校がある(流れは突っ込まないでほしい)。
群馬県富岡市にある県立富岡高等学校である。同校は1897年に群馬県尋常中学校の甘楽分校として創設され、現在全日制と定時制を持つ男子校だ。
正門前に立つとまず眼に入るのが門柱である。でかい。そこまで大きくする必要があるのかと首を傾げるほどでかい。その大きな門柱の脇で一際存在感をアピールしているのが「七日市藩邸跡」の市の史跡案内板である。事情を知らない者であれば、看板の周辺でうろうろするに違いない。そしてその挙句、校門から出てきた富岡高校生(通称は富高生)に尋ねるだろう。
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黒門プロジェクトの由来となった「黒門」。 かつては藩主前田家の宗家加賀藩の赤門に対しこう呼ばれたが、 今は東大の赤門へ通ずる門として願いが込められる。 [富岡高校HPより] |
「七日市藩邸跡は、どこにアリマスカ」。
別に迷ったからと言って、謎の外国人を気取らなくてもいいのだが、そこから展開される世界はおそらくアナタを時空を超え、異邦人にしてしまうほどの衝撃は、きっとある。
そして富高生は、徐に門の中を指し、「ここです」と云うだろう。
そう富岡高校は七日市藩の藩邸だった場所である。すでに藩邸跡に高校校舎が建っている例を、我々はいくつか見てきた。門があったり、石垣があったり、お堀があったり…。生垣や桜、つつじなんかも植えられていて、なんとも風情があるという高校も少なくない。
しかし富岡高校はそんな城郭高校が霞むほどの存在感を持っている。
なんと高校敷地内に御殿があるのである。
同校の公式HPの校舎案内図には、敷地内にその存在が確認できる。御殿は七日市藩主であった前田家の主たちが代々住んでいた家、つまり陣屋である。
前田家と聞かれてピンと来られた方は日本史通と言えそうである。そうあの加賀藩百万石の藩祖前田家の直系の藩なのだ。七日市藩の藩祖は、前田利孝。戦国時代から安土桃山時代にかけて台頭し、豊臣秀吉政権の五大老として君臨した「かぶき者」前田利家の5男である。利家は秀吉とも年が近く、秀吉が没後も政権奪取を狙う家康を牽制し続けた重鎮だったが、秀吉が他界した後8ヵ月ほどで亡くなっている。
利孝が七日市藩を立藩したのは、1616年、関ヶ原の後、大阪夏の陣の武功を家康に認められたためだ。豊臣派から徳川派に寝返ったわけだ。だがこれもやむを得ない事情があった。
利家没後、利孝の兄、利長が家康と本多正信が仕組んだ「家康暗殺計画」にはまり、その反証として、利孝が江戸に人質として取られたためだ。
その後七日市藩は、利孝以降も前田家が12代連続で治め続け明治を迎えた。とくに拡大もせず、質実に営々と代を重ねた姿は、地方で光り続ける中小企業にも似ている。途中相次ぐ飢饉などで財政的には苦しかったこともあったが、そこは加賀の前田本藩が折りにふれ財政を支えたらしい。11代藩主の利豁の時代には藩校「成器館」を創設(1842年)している。
ちなみに利孝自身は幼少のストレスもあったのか、44歳という若さで亡くなっている。
そんな事情を抱えた前田藩の御殿。確かに有名大名の住まいに比べて豪華絢爛さはないかもしれないが、立派な御殿である。
正門から入ると左手に正面に御殿の偉容が眼に入ってくる。
しかもそのアプローチにはこれまた立派な大名庭園が用意されている。富岡高校の案内図にはただ「庭園」としか案内されていないから、この図を見る限りは、創立何十周年の際に、環境整備とかなんとかの目的で学校の角に申し訳程度につくった庭とも取れなくもないが、よくみると池のイラストの脇で錦鯉が跳ねているところが意味深い。実際よく手入れされた植栽に石橋を渡した趣のある池は、小藩前田家の慎ましやかさが見て取れる異空間だ。
大名庭園を抜けた先には、富岡高校の東門、黒門がある。門と言えば信州の上田高校の「古城の門」もインパクトがあったが、黒門はこれに比べると小ぶりである。しかしこの黒門こそ、富高生の青春の門ならぬ精神の門なのである。
というのも現在富岡高校ではこの黒門にちなんだオリジナルの進路指導システム「黒門プロジェクト」が2005年より進行中だからだ。
自分が将来なりたい自分を強く意識すること(WANT)から始まり、そのWANTを実現するためにやらなければならないこと(MUST)を自覚し、そのMUSTをクリアしてできる(CAN)変えることで、なりたい自分が実現できる――その3つのステップを確実に歩む。そしてこの3つのステップを確実歩むために学校は全力でサポートする。基本的な生活習慣を確立させながら、授業への真剣な取り組みを軸とした具体的な学習支援策「サクセスシステム」と目標への意識を常に持ち続けるメンタル的なサポート「ドリームプラン」を目標達成まで提供するのである。何かと悩み、迷う若人を物心両面で全力でサポートし、栄冠をつかんでもらおうというのである。いい高校である。
この黒門プロジェクトが目指すのはずばり東京大学である。これは七日市藩の黒門に対し宗主藩である加賀藩の江戸屋敷に赤門があったことに因む。つまり黒門を出て、東大の赤門をくぐることを暗に示している。なんとなくこじつけっぽさもあるが、その意気たるはよし。
肝心の成果のほうだが、05度まで200人台後半だった4年生大学の合格者数が、黒門プロジェクト1年目の06年度には、一気に300人台を突破、さらに08年には400人の大台にも乗った。難関と言われる国立大学合格者も年によってバラつきはあるものの、40人台から50人台後半、60人台を維持するようになった。09年にはめでたく東大合格者も生み出している。
全国の俊英を集める超エリート高校からすれば、ささやかな成果かもしれない。だがたとえば、夏は扇風機を使って暑さをしのぎ、冬は石油ストーブを使って暖をとりながらの、決して十全な環境にないなかでの成果は立派である。むしろこういう環境だからこそ伸びしろの大きい逸材が育っていることは確かだろう。
もともと富高生は鍛えられている。入学直後には夜間を通じ妙義神社など一帯を踏破する「夜間耐寒歩行」が敢行され、まずは富高生としての根性が試されていた。ただ残念なことに03年で昼間に行う「妙義ウォーク」に代わっている。
易きに流れてはいけないぞ、富高生。
もっとも城郭高校らしく文武両道は貫かれており、高校野球では群馬を代表する実力校で、六大学野球、さらにプロ野球界に多くのOBがいる。弓道部も県の実力校として知られる。さらにハンドボールは全国大会常連である。
富岡高校を城郭高校たらしめているのは、その御殿の存在だが、際立っているのは素晴らしいOBがいることだ。なんと国民的人気番組「水戸黄門」の初代黄門様、東野英治郎さんがいるのだ。御殿に日本庭園に黄門様――出来すぎである。もちろん著名なOBはまだいる。たとえばコメディアンの団しん也、NHK初代会長の阿部慎之助、画家の福沢一郎、監査法人トーマツの創始者等松農夫蔵(とうまつのぶぞう)らがいる。「えっトーマツってなんか外国人と思っていた」と驚かれた方もいるだろう。ベタベタな?日本人だったんです。
深いぞ、富高。
ちなみに冒頭紹介した斎藤佑樹投手は富岡出身ではない。つかみとして出しただけです。ハイ。