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国宝・彦根城 井伊家400年の栄華のカタチ |
それほど「国宝」という言葉には威厳がある。ふつうの人を平伏させてしまうのだ。
その国宝の指定を受けているのが、あの彦根城である。お城というだけで、下下の者は、その存在を崇め、敬意を表し、平伏させるに十分な存在であるのに、国宝の指定がつくのだ。しかもこの彦根城は、あの偉大なゆるキャラ「ひこにゃん」を生んだ。
顔の面積が全体の3分の1を占める、ゆっる~い猫キャラなのに兜まで被っている。取ってつけたような構造をしているが、実はひこにゃんは実在の猫がモデルとなっている。
ペット人口が最も多い猫好きを狙った、緻密なマーケティングから生まれたわけではない。
江戸時代、武蔵国荏原郡世田谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺の大木で雨宿りをしていた彦根藩主二代目井伊直孝の前に現れた白猫が、直孝を手招きした。「こやつ何者」と近づいたとたん、雨宿りをしていた大木に雷が落ち、直孝は危うく難を逃れた。そのこの白猫こそがひこにゃんのモデルとされる。この白猫は豪徳寺の飼猫で、直孝はその後この豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。当時貧乏寺だった同寺は、その後大いに栄耀したという。いまでも豪徳寺は東京近郊の住みたい街ランキングの上位に入る。白猫さまさまである。さらにこうした逸話から、この白猫は「招き猫」のモデルの1つともされている。
ひこにゃんは由緒ある、神々しいまでの逸話を持つ存在なのだ。どこぞの語呂合わせでてきたようなゆるキャラとは格が違うのだ。
そのひこにゃんの住まいは国宝・彦根城。言われからすると豪徳寺が正しい気もするが、意外と出世欲があったのかもしれない。
その彦根城は1622年、多くの大老を排出した井伊家の居城として、徳川四天王の一人、井伊直政の遺志を受けた直継と直孝によって、それまでの佐和山城に代わって築かれた。着手が1604年。18年の歳月を要している。
ちなみに佐和山城は、石田三成の居城だったため、彦根城が竣工した後、徹底的に破壊された。現在はわずかにその碑が高台に残るのみ。家康が「徹底的に解体せよ」と命じたらしい。怨み骨髄に入るというか、何とも勿体無い気がするのはやっぱり筆者が21世紀に生きるからか。
彦根城は、関西の海、琵琶湖湖畔に立つ、どこかヨーロピアンな風情を醸し出す城である。ヨーロッパの城はたいがい美しい湖畔に建つ…というのはもちろん思い込みである。ただどこか異国情緒を漂わせているのは確かである。なぜか。それは朝鮮半島風が取り入られているからである。朝鮮半島風とはすなわち、豊臣秀吉が晩年、朝鮮出兵を行った時にその足がかりとして築いた一連の城、「倭城」の流れを組んでいるからだ。意味的には朝鮮半島風ではなく、日本風ってことなるわけなんですがね…。
倭城の最大の特徴は「登り石垣」という万里の長城のような石垣が、敵の侵入を防ぐために山腹をぐるりと囲んでいることである。佐和山城が徹底的に壊されたのは、とにかく家康が、秀吉の名残を一掃したかったからだが、秀吉が確立した倭城スタイルを彦根城に持ち込んでいるのは、家康の合理主義というより、どこか「ずっこい」気がする。古狸と言われる所以だろう。
藩主の井伊家は、徳川家、関ヶ原、それに続く大阪冬の陣、夏の陣の覚えめでたかったため、江戸時代を通じて1度も転封(転勤)なく通している。老中、大老という要職にはほかに堀田家や本多家など名門普代大名がいたが、転封なしは井伊家だけである。しかも、大老という徳川株式会社のCOO(執行役員)を5代6度勤めている。事実上最高権力者となり桜田門外の変で水戸藩士に切られた15代藩主井伊直弼はその代表だ。
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彦根城の敷地に泰然と構える 彦根東高校 [彦根東高校HPより] |
で、彦根東高等学校である。公式ホームページを開くと、トップの写真には彦根城の石垣をなめた奥に彦根東高校の校舎が見える。なかなかグッとくるアングルである。でも「惜しい、城郭の外なのか~」。と思ったら、ノンノンである。校舎はちゃんと彦根城の内濠と中濠に挟まれた城の一角を占めている。皇居で言えば、外苑あたりだ。城郭高校らしい現存する上屋こそないが、国宝の城(天守)の敷地内というインパクトは大きく、贅沢である。それで十分だと思ったら、かつて校舎は二の丸にあったという。
濠一帯には、桜が植えられ、春ともなれば爛漫の花となる。藤沢周平か池波正太郎が描く情景が浮かぶ。あるいはめでたく東高生(略称はこうらしい)となった彼ら彼女は、これまた風情たっぷりの京橋をわたって、その道すがら「お初にお目にかかりまする」といった会話を交わすに違いない。もしくは「そちはにゃんと申すか」とか云うのだろうか、ひこにゃんだけに…ンなわけないか…。
彦根東高校の校舎は彦根城の多くの城郭高校と同様、そのオリジンは1799年創設の彦根藩藩校「稽古館」である。歴史は200年を超える。十分長い歴史を持つが、岡山藩が米沢藩など開明派の藩主が1600年代に開校していることを考えるとやや物足りない。見学精神は「赤鬼魂」。って何だというと、これは井伊家の「赤備え」に由来するものらしい。赤備えとは、関ヶ原の戦いなどの武勇で知られる井伊直政が、戦闘の際、朱塗りの甲冑、具足、兜など軍装束で敵をバッタバッタと撃破、その姿が赤鬼として恐れられたことからこう呼ばれるようになったらしい。
同校のHPは赤鬼魂を「何事も一番!」「先頭に立って活躍する」「時代に先立って新しい分野を切り開く」「何事にも屈しないチャレンジ精神」と紹介している。
かなりアグレッシブなスピリッツである。そんな赤鬼魂を宿して旅立っていったOBには舌鋒鋭く斬り込むジャーナリストの田原総一朗を代表として、パナソニック中興の祖、中村邦夫元社長、トヨタの中興の祖、石田退三元社長など、なるほどな顔ぶれが並ぶ。時にアグレッシブ過ぎ、過激派であさま山荘事件の首謀者だった坂東国男や日航機ハイジャック事件を起こし、北朝鮮に亡命した若林盛亮なども出した。
そんなアグレッシブなスピリッツを持つ高校なのに、彦根東高校は独自のゆるキャラを持ってる。「ぎんにゃん」。ぎんにゃんはひこにゃんと同じ白猫。彦根東高校の象徴であるイチョウを頭に挿し、赤鬼魂を表した真っ赤なマフラーを巻き、校章で留めている。ひこにゃんの高校生版とも取れなくもない。
ぎんにゃんは2009年に行われた「彦根七夕まつり」で校外デビュー。同年の「ゆるキャラまつりin彦根~きぐるみさみっと2009~」では高校としては唯一参加し、話題を呼んだ。話題と言えば、ぎんにゃんは、かくれんぼのギネス記録も持っている。2010年、市内の荒神山公園で188人が1時間以上隠れ続け、めでたくギネス記録認定者の一人(一匹)になった。実技では191人参加して188人が残ったというから、ちょっとゆるゆるなかくれんぼの気もするが…ギネスなんだからしっかり基準をクリアしているのだろう。
地方の名門高校というのは、たいがい不思議な伝統文化を持っているものである。この彦根東も御多分に漏れず、いろいろある。その代表が「東高体操」だ。50年前、同校の体育教師であった宮下雅男さんが開発したオリジナル体操だが、新入生はこの体操をマスターしてはじめて東高生として認められるという。高校生らしい体操を目指してつくったということで、動きは高度でわかりにくい。しかも男女振り付けが別だ。どうせ受験科目じゃないからテキトーにしようぜ、ってわけにはいかない。東高体操ができないと単位がもらえないからだ。そう何事も赤鬼魂なんである。
ちなみにほかのOB、OGには民主党内閣総理補佐官の細野豪志、同じく元文部科学省の川端達夫、参議院議員の林久美子、同じく田島一成など国会議員、とくに民主党員が固まっている。ほかにL’Arc~en~CielのKenなどもOBである。
ゆるそうに見えても赤鬼なんである。